設立の沿革と趣旨
本校は1960年石川島播磨重工が、イシブラス造船所に派遣された社員の子弟の企業内教育施設(日語補習校)をチジュカに開設したのが始まりである。その後、徐々に日系企業がリオデジャネイロに事務所を開設し、日語補習校への入学希望が増加した。その頃から日本人学校設立の気運が高まり、1970年商工会議所内に教育委員会を設置、1971年に日本人子弟教育会を設立し、政府補助も決定、同年8月2日に在リオデジャネイロ日本国総領事館及び進出企業・保護者有志の多大な努力により、リオデジャネイロ日本人学校として設立された。
最初はチジュカの仮校舎で派遣教員2名、現地採用教員5名、児童生徒53名で授業が始められた。1972年にはコズメベーリョに新校舎竣工・移転、その後日系の企業進出により生徒数が増加し、1976年サンタテレーザに新校舎竣工・移転した。しかし、近隣地域の急激な治安悪化のため、2009年に日系協会校舎に仮移転し、現在に至っている。
本校設立の趣旨は、会員の子弟、主に日本よりブラジルに一時的に派遣された日本人の子弟に対し、ブラジルと日本の文化の普及の他に、日本の学校教育の基本課程を習得させ、帰国後、日本の学校教育に直ちに適応できる様に計画・運営することを主目的としている。
また、本校は日本国憲法の学校教育法・同施行規則により、文部大臣より指定された在外教育施設であり、本校卒業生は、日本の小・中学校卒業者と同じ資格を有するものである。